谷川岳の沢や岩へ 日本百名山 その2 [日本百名山を訪ねて]
山へ登りはじめの梅雨のころ、高校山岳部で魔の山谷川岳へ登った。
よく眠れぬ夜行列車を、夜が明けだした頃土合で降りる。
見上げる山肌にはいまだに雪が残るのを知った。
歩き始めると道の傍らに慰霊の墓標が立ち並ぶ。この山のそら恐ろしさが心の底をよぎる。
巌剛新道から西黒尾根を登る。霧が流れマチガ沢の雪渓が見え隠れする。
肩の広場へでると小雨。何も見えない頂上へたつ。
先輩や先生達に導かれ、細かい雨のなか笹の斜面を降り、深い樹林と雪渓の残る万太郎谷を下る。
疲れた体とずぶ濡れの登山靴で土樽駅へ。
昭和36年6月 日本百名山 その2
高校を卒業した年、思い立ち一人でマチガ沢を登った。この時も山頂は霧が覆っていた。
その後、谷川岳へは何度も通った。
西黒尾根から峻険なシンセン岩峰を眺め、
頂上付近のなだらかな笹原を歩き、国境稜線から一ノ倉の岩壁を覗き、
雪稜のラッセルに息をきらせ、
残雪の沢を辿り、
仙ノ倉沢のスラブや南面の沢やマチガ沢などを遡った。
一ノ倉沢をめざして
丹沢の沢を登り三つ峠や越沢バットレスへ通い、
三つ峠
一ノ倉沢へ入る日をまった。
よく晴れた秋、4ルンゼを登り一ノ倉沢への第一歩をしるした。
その後、先輩や仲間達とたびたび一ノ倉沢や幽の沢に通い、岩壁やルンゼを攀じ登り若い血を燃やした。
一ノ倉沢
耳ふたつ (今は亡き山の友達が贈ってくれた写真)
衝立や三スラをめざしていたが、手を触れることなく年が過ぎ、岩から離れてしまった。
もう 一ノ倉沢へ入ることはないだろう。
一ノ倉沢で夜を徹して遭難救助し、沼田警察から表彰されたこともあった。
その時もらった金色のメダルは今も持っている。
白い谷川岳を望む
今は この山から何年も遠ざかってしまた。
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